北九州在住で落語家の橘家文太さんが5月、出先で落語を披露できるトラックの運用を始めた。
文太さんは「落語とは全く無縁のヤンキーで、地元の同級生らと北九州のど派手成人式を終えた後、初めて将来のことを真剣に考えた」と言い、上京のために貯金を始めた。「23歳で上京し、キャバクラのボーイとして働く日々。ビッグになろうと思ってきたのに、こんなはずじゃなかった」と思っていたある時、東京・新宿「末広亭」の前を通り掛かり、タイムスリップしたようなその外観に誘われるまま入ってみた。「座布団一枚敷かれた舞台で、たった一人の落語家が大入りの観客を沸かせていたのを目の当たりにして、『落語ってすげえ』と感銘を受けた」と振り返る。
その後、橘家文蔵師匠に弟子入りし、落語家修業が始まった。裏方から見習い、前座、二つ目へと昇進した昨年の2月、「師匠から、北九州に戻って落語家の活動をしてみないか」と提案された。文太さんは「(落語家は)東京や大阪の寄席で活動するのが当たり前と思っていただけに驚いた。地方で活動する落語家なんて聞いたことがない。前代未聞の挑戦」と覚悟を決め、都内の住まいを引き払い、8月、生まれ育った八幡西区折尾に戻った。
ところが北九州どころか九州には「寄席がない。無いなら作ってしまえ。それも移動できるトラックで」と「動く演芸場 落語Car」を思い着いた。昨年12月から製作に取り組み、今年5月に完成。2畳分の広さの高座や音響設備、照明を設けた。ふすまの奥にはエアコンを完備した楽屋も備える。現在は、「生の落語を見たことがない」という声を受け、老人ホームや学校など屋外での落語会開催を見据え、営業活動を行っている。
文太さんは「まさか自分が落語家になって地元に戻ってくるとは思いもよらなかった。不良少年として過ごした地元に笑いで恩返しをしたい」と抱負を話す。現在、「落語Car」製作費や活動費を賄う資金をクラウドファンディングで募っている。リターンには「出張寄席」や「文太と生電話」などを用意する。